【出演】 楳図かずお祖父江慎竹熊健太郎 【監督・撮影・編集】 伊藤弘二 【音楽】 大内勇太

  • 楳図かずお

    楳図かずお KAZUO UMEZZ

    プロフィール

    楳図かずおは、1936年9月3日和歌山県高野山に生まれ、奈良県で育った。幼児期から絵を描くことに非凡な才能を示し、小学4年のとき漫画を描き始めた。最初の作品は『まほうのつぼ』。14歳の時に描いた『森の兄妹』と高校2年のとき描いた『別世界』が1955年に出版されプロデビューを果たした楳図は、以後精力的に貸本向けの単行本を描いた。『口が耳までさける時』『へび少女』『人こぶ少女』などのホラー作品で日本中の少年少女たちにトラウマを刻みつけた楳図は後に“ホラー漫画の神様”と呼ばれるようになる。1967年からは『猫目小僧』を発表。1976年に『妖怪伝・猫目小僧』としてテレビアニメ化されている。また、1972年からは『漂流教室』を連載。荒廃した未来の世界で生き抜く子供たちの姿をリアルに描き、1975年には小学館漫画賞を受賞した。一方、1976年からは『まことちゃん』を発表。シュールなギャグが大ブレイクし、“グワシ”は、社会現象となった。

    現在、楳図のトレードマークと言えば、赤白ボーダーのシャツと、この“グワシ”である。また、楳図は自らバンドを組み、作詞・作曲・ボーカル・振り付けを手がけ、1975年にはLP『闇のアルバム』をリリースしている。他にも『おろち』『洗礼』『わたしは真悟』『神の左手悪魔の右手』『14歳』など多数の漫画作品があるが、驚くほど時代を先取りした内容であるため、楳図を“預言者”と呼ぶ人も少なくない。また、1994年には後楽園ゆうえんちで「楳図かずおのおばけ屋敷 安土家の祟り」をプロデュースした。2005年にはデビュー50周年をむかえ、作品の映像化が相次いだ。70歳になった現在、楳図は指関節の痛みのため漫画の執筆を休んでいるが、5ヶ国語学習や、音楽活動、TV・映画・雑誌の出演などで多忙な毎日を送っている。

    楳図かずおは、漫画の枠を超え芸術・エンターテインメント全般に渡り稀有な独創性を発揮し続ける、宇宙一ロックンロールな天才芸術家である!

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  • 祖父江慎

    祖父江慎 SHIN SOBUE

    プロフィール

    1959年、愛知県生まれ。ブックデザイナー、コズフィッシュ代表。小説や漫画、人文書など幅広い書籍のデザインを手がけ、意図的な乱丁や斜めの裁断など常識にとらわれない独創的なデザインにも定評がある。

    代表作に、吉田戦車『伝染るんです。』、京極夏彦『どすこい(仮)』(講談社文化賞・ブックデザイン部門受賞)、漫画誌『月刊IKKI』(雑誌名の発案者でもある)、糸井重里『言いまつがい』、恩田陸『ユージニア』など多数。楳図作品の新装版であるUMEZZ PERFECTION!シリーズの発案者であり、『漂流教室1・2・3』は、第42回造本装幀コンクールで日本印刷産業連合会会長賞を受賞。

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  • 竹熊健太郎

    竹熊健太郎 KENTARO TAKEKUMA

    プロフィール

    1960年、千葉県生まれ。1981年よりフリーで編集・文筆活動に従事。主活動ジャンルは、マンガとアニメーションを中心としたサブカルチャー領域。2003年4月より、多摩美術大学共通教育で「漫画文化論」非常勤講師を務める。2009年4月より京都精華大学マンガ学部プロデュース学科教授。

    主な作品に『サルでも描けるまんが教室』(小学館)、『篦棒な人々−戦後サブカルチャー偉人伝』(河出書房新社)、『20世紀少年探偵団』(小学館)などがある。また、自身が運営する「たけくまメモ」は、開設から5年で2800万アクセスを突破する人気ブログである。

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  • 伊藤弘二

    監督・撮影・編集 伊藤弘二 KOUJI ITOH

    プロフィール

    1972年北海道生まれ。東京都在住。システムエンジニア。
    2007年から2009年にかけて制作した「グワシ!楳図かずおです」が、初監督作品。

    メッセージ

    楳図かずおがメディアで見せる明るいパフォーマンス。創作に対する厳しい眼差し。そうか、そのどちらも自分は撮れる立場にいるんだ! 2004年に「楳図かずおオフィシャルホームページ」を立ち上げてから3年。ホームページも 軌道に乗ったその頃、それまで考えてもいなかった映画制作を思い立った。 撮影未経験の自分に撮らせてくれるのだろうか? 恐る恐る先生に相談すると…。 「いいですね。面白いんじゃないですか。ちょうど、ボクの家も建築が始まるんです。」との返事。 意外なほどあっけなく撮影の了解を得ることができた。 高額な業務用の機材を買い込み、後戻りできないところまで自分を追い込んでから制作をスタートした。慣れない撮影と編集に悪戦苦闘。テープの本数が次第に増えていく。その間、新居は、「まことちゃんハウス」と呼ばれ、期せずして社会問題となり、マスコミに大いに取り上げられることになった。 ラストに相応しいシチュエーションでの撮影を終えたのは、2009年春だった。2年にわたって先生を追いかけ回して、迷惑に感じられたこともあったと思う。でも、日本が世界に誇る天才アーティスト「楳図かずお」の横顔はグワシっと撮れているはずだ。

    伊藤 弘二

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